「地下の火と火の神」 藤沢衛彦 一九二六年
藤沢衛彦の編集・執筆で発行された『日本民俗学全集』というシリーズがあります。一九五〇年代に出た古い本ですが、その「神話・伝説編」に収められた「山岳伝説」において、藤沢は火山についてこんな文章をのこしています。
地震の国、日本はまた火山の国である。火山の現象は、過去の地質時代にあった地殻の大変動が、こんにちにまでのこしている余韻とでもいうべきものであろう。太古では、火山はもっとかつやくしていたと、火山学者たちは論証している。
とすれば、わたくしたちは火山というものにもっと関心をもつべきかもしれない。火山の爆発、その噴火・噴煙、そうしたものが、ただ人々の心に威圧を与えたとばかりみるのはあやまりであろう。
むしろ、そこから、活動力、生命の源泉、といったものを感じとったかもしれないからである。
この一文は、国文学者・益田勝実による著名な論文「火山列島の思想」に、引用されています。お二方とも故人ですが、益田勝実については、現在も関心をもっている人が少なくないようで、最近も、講談社、青土社から復刻的な本が出ています。
それに対して、藤沢衛彦の作品は復刻とは縁遠く、一部の支持者をのぞき、彼について語る人にはあまりお目にかかれません。
オランダの人類学者C・アウエハントが、江戸時代の民俗事例をもとに地震神話を読み解いた『鯰絵』はその筋では評価の高い論考らしく、二〇一三年、岩波文庫として復刻されていますが、同著のなかにたびたび藤沢の名前が出ています。
藤沢は研究者というだけでなく、名うての鯰絵コレクターでもあり、アウエハントの研究に協力しているからです。
日本列島は世界でも有数の火山国、地震国であるのに、柳田国男をはじめとする民俗学者たちは不思議なほど、火山に興味をしめしていません。
藤沢衛彦は、火山、地震など日本列島の大地のふるまいにつよい関心をもちつづけてた民俗学系の研究者として珍しいケースです。
民俗学者という肩書きで紹介されることが多いようですが、柳田国男、折口信夫などに比べると、その筆致はずいぶん大衆的です。性風俗や妖怪かんけいの本もあって、今日の感覚でいえば、サブカルチャー系のマニア的作家という雰囲気もします。アカデミズム的な民俗学とは、やや違うジャンルなのかもしれません。
実は『火山と太陽』の著者ワノフスキーと藤沢には、因縁らしきものがあります。
一九二九年、中央美術社という出版社から『妖怪画談全集 ロシア・ドイツ篇』という本が出ていて、その編者がワノフスキーなのですが、「日本篇」の編者が藤沢衛彦なのです。
この二人は火山の神話に関心があったので、面識があってもいいとおもうのですが、未調査です。
『火山と日本の神話』を編集するとき、火山神話についた過去の論考を探索したところ、もっとも早い時期にまとまった文章をのこしている事例のひとつが、藤沢衛彦の「地下の火と火の神」でした。
ギリシャ神話のなかの火山のモンスターから説き起こして、火山と一つ目神の話、日本の地震ナマズ、ハワイの火山の女神ペレ、風土記のなかの関連説話、火の神カグツチへと話題を広げています。藤沢衛彦のスタイルなのでしょうが、話題が豊富で、こんな情報もあります、これも関係していますと、火山神話にかかわる多くのデータが提示されています。
アナログ時代の「ひとりインターネット」のような性格が、藤沢衛彦にはあるようです。冒頭は火山流の話題です。
原始民俗を驚異せしめた怪火に、焰々と燃え盛る地下の火(噴火)がある。この驚異すべき地下の火を、希臘(ギリシャ)人は、チフォンといふ怖るべき怪物の自然力のやうに想像した。
チフォンは、地球ゲアの息子達タイタンの中でも、最も狂暴なる怪物と信ぜられてゐた。彼の首からは百個の龍の頭が生えてゐた。その眼は閃々たる光を放ち、そのつく息、はく息は焰々たるほおほを断続として吐出する。 (「地下の火と火の神」)
この火をふくモンスターは、天空神ジュピターの雷撃によって、地下に閉じ込められたものの、ときどき、地上世界との境界をうろつき、炎をふきあげ地上の人を驚かす、それが火山の噴火であるという話が紹介されています。
百の頭をもつ龍で、目を炎のようの光らせるモンスターというと、ヤマタノオロチそのものではないかと考えてしまうのは、寺田寅彦が「神話と地球物理学」で提示している「ヤマタノオロチ=溶岩流」説をわたしたちが知っているからです。
しかし、寺田寅彦のこの論考が発表されるのは、「地下の火と火の神」の七年あとのこと。藤沢衛彦はヤマタノオロチではなく、日本列島を揺り動かす地震ナマズを持ち出して、ギリシャの火山モンスターと対比しています。
宇宙間の安定せる秩序を破壊する自然力の表現である怪物は、そのはじめ荒ぶる龍を以て現はされ、やがて、のらりくらりと押へをすりぬけんとする鯰に変化した。建久九年の文献に於いて、地震蟲は龍であった。(中略)
龍が鯰と化ったのは、往昔日本の地形が蜻蛉の形であると信ぜられ、一名蜻蛉州と呼ばれた其蜻蛉が又鯰の形に似てゐるところから、大鯰日本国を載せるの伝説が出たものである。(「惑問珍」その他)が、大地震の怪物が、鹿島の神のよって押へられてゐる思想は、希臘の地下の怪物チフォンの狂暴をジュピター神に封ぜられゐるに等しい。 (「地下の火と火の神」)
鹿島神宮のタケミカヅチの剣が地震ナマズをうまくおさえているとき、日本列島は平穏。写真の「鯰絵」は日本文化研究センターサイトより。
一九二三年(大正十二年)、首都東京を壊滅させた関東大震災が起きました。藤沢衛彦が『伝説』という雑誌に、「地下の火と火の神」を発表するのは大震災から三年後のことです。さらに、その七年後、寺田寅彦は「神話と地球物理学」を書き、古事記の神々の記録のなかに火山や地震との類似を指摘しています。
関東大震災のあと、火山神話の先駆けとされる論考が相次いで書かれているのは偶然ではないはずです。未曾有の自然災害に直面したとき、大正時代の人たちは、思考の素材として古事記の神話を持ち出しているのです。ワノフスキーもそうした知的動向のなかで、古事記神話のすべてを火山神話として読み解く『火山と太陽』を構想したのだとおもいます。
二〇一一年の東日本大震災、二〇一六年の熊本地震。
御嶽山の噴火、長く静かだった箱根火山の活動再開。
最近になって、火山・地震の神話にたいする関心が少しずつ高まっているのは、関東大震災のあとの時代と同じことなのかもしれません。
「地下の火と火の神」の結びは、火の神カグツチについての論考です。
女神イザナミは多くの神々を産んだあと、火の神カグツチを出産するとき陰部を焼かれ、やがて絶命します。夫のイザナギはそれに怒り、わが子カグツチの首を剣で斬ったところ、カグツチの血潮のなかから、いくつもの山(の神)が生じたという話が古事記に書かれていますが、藤沢はこれについて、
大地の火、激しく暴れて、ついに噴火となり、磐裂き、根裂き、大地は震動し、火山は爆破し、轟然たる音響とともに溶岩流出した神話時代の大地の火の噴火、激震から考えついたものであろうということになる。
と、太古の火山噴火の記憶にルーツを求めています。カグツチは火の神だから火山の神だろうという語呂合わせとは違った、深い思考が感じられます。
火山の巨大な噴火は、溶岩、火砕流、地表の隆起や陥没などによって、新たな山をつくり、神秘的な渓谷を造形します。そうした自然のドラマを繰り返し目撃した日本列島の住民は、そこに「生命の源泉」を感じたにちがいないと、藤沢衛彦が書いたのは、冒頭に紹介した『日本民俗学全集』です。
第二次世界大戦の混乱からようやく抜け出そうとする、戦後まもないころの作品です。
藤沢衛彦の仕事には売文稼業めいたところがあって、アカデミズム的な評価は必ずしも高いものではないという話も聞きます。
しかし、関東大震災を経験した知識人のなかで、藤沢衛彦ほど、火山と地震が日本列島を宿命づけているということについて、本質的な思考をなした人はいないのではないでしょうか。民俗学としての学術的な達成度うんぬんは別のこととして、立派な物書きだったと敬意を表したいとおもいます。 (桃山堂)