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神話と地球物理学

古事記と火山をつなぐ天災的(?)思考


『神話と地球物理学』 寺田寅彦  一九三三年


火山神話論の元祖

 

寺田寅彦は、夏目漱石の友人で、随筆家、俳人としても知られた人ですが、「天災は忘れたころにやって来る」という言葉は彼の文章を標語化したものだといわれています。東京大学の物理学教授ですが、東大の地震研究所にも属しており、浅間山の噴火についてのエッセイもあります。

 

『神話と地球物理学』は論文というより、短いエッセイですが、今日、注目されつつある火山神話論の元祖的論考です。『火山と日本の神話』の編者としては、寺田寅彦が火山神話論の元祖、ワノフスキーを本家に推奨したいところです。

 

『神話と地球物理学』の元祖たる由縁は、古事記神話と火山現象の類似点が、ほぼリストアップされているからです。それは以下のような点です。

 

・国産み神話(島々の出現)は、海底火山の噴火あるいは地震による隆起。

 

・スサノオの乱暴狼藉は、火山の噴火。

 

・ヤマタノオロチは、溶岩流。

 

・岩戸神話の常夜は、火山灰による暗闇。

 

・オオナムチを焼いた「赤猪」は、火山弾。

 

 

とても短い論考で、五分もしないで読めるものなので、全文を引用してみます。

 

 

         『神話と地球物理学』

 

われわれのように地球物理学関係の研究に従事しているものが国々の神話などを読む場合に一番気のつくことは、それらの説話の中にその国々の気候風土の特徴が濃厚に印銘されており浸潤していることである。たとえばスカンディナヴィアの神話の中には、温暖な国の住民には到底思いつかれそうもないような、驚くべき氷や雪の現象、あるいはそれを人格化し象徴化したと思われるような描写が織り込まれているのである。

 

それで、わが国の神話伝説中にも、そういう目で見ると、いかにも日本の国土にふさわしいような自然現象が記述的あるいは象徴的に至るところにちりばめられているのを発見する。

 

まず第一にこの国が島国であることが神代史の第一ページにおいてすでにきわめて明瞭に表現されている。また、日本海海岸には目立たなくて太平洋岸に顕著な潮汐の現象を表徴する記事もある。

 

島が生まれるという記事なども、地球物理学的に解釈すると、海底火山の噴出、あるいは地震による海底の隆起によって海中に島が現われあるいは暗礁が露出する現象、あるいはまた河口における三角州の出現などを連想させるものがある。

 

なかんずく速須佐之男命に関する記事の中には火山現象を如実に連想させるものがはなはだ多い。

 

たとえば「その泣きたもうさまは、青山を枯山なす泣き枯らし、河海はことごとに泣き乾しき」というのは、何より適切に噴火のために草木が枯死し河海が降灰のために埋められることを連想させる。

 

噴火を地神の慟哭と見るのは適切な譬喩であると言わなければなるまい。

「すなわち天にまい上ります時に、山川ことごとに動み、国土皆震りき」とあるのも、普通の地震よりもむしろ特に火山性地震を思わせる。

 

「勝ちさびに天照大御神の営田の畔離ち溝埋め、また大嘗きこしめす殿に屎まり散らしき」というのも噴火による降砂降灰の災害を暗示するようにも見られる。

 

「その服屋の頂をうがちて、天の斑馬(ふちこま)を逆剥(さかは)ぎに剥ぎて堕し入るる時にうんぬん」というのでも、火口から噴出された石塊が屋をうがって人を殺したということを暗示する。

 

「すなわち高天原皆暗く、葦原中国ことごとに闇し」というのも、噴煙降灰による天地晦冥の状を思わせる。

 

「ここに万の神の声は、狭蠅なす皆涌わき」は火山鳴動の物すごい心持ちの形容にふさわしい。

 

これらの記事を日蝕に比べる説もあったようであるが、日蝕のごとき短時間の暗黒状態としては、ここに引用した以外のいろいろな記事が調和しない。神々が鏡や玉を作ったりしてあらゆる方策を講じるという顛末を叙した記事は、ともかくも、相当な長い時間の経過を暗示するからである。

 

記紀にはないが、天手力男命が、引き明けた岩戸を取って投げたのが、虚空はるかにけし飛んでそれが現在の戸隠山になったという話も、やはり火山爆発という現象を夢にも知らない人の国には到底成立しにくい説話である。

 

誤解を防ぐために一言しておかなければならないことは、ここで自分の言おうとしていることは以上の神話が全部地球物理学的現象を人格化した記述であるという意味では決してない。神々の間に起こったいろいろな事件や葛藤の描写に最もふさわしいものとしてこれらの自然現象の種々相が採用されたものと解釈するほうが穏当であろうと思われるのである。

 

高志の八俣の大蛇の話も火山からふき出す熔岩流の光景を連想させるものである。

 

「年ごとに来て喫(く)うなる」というのは、噴火の間歇性(かんけつせい)を暗示する。

 

「それが目は酸漿(あかかがち)なして」とあるのは、熔岩流の末端の裂罅(れっか)から内部の灼熱部が隠見する状況の記述にふさわしい。

 

「身一つに頭八つ尾八つあり」は熔岩流が山の谷や沢を求めて合流あるいは分流するさまを暗示する。

 

「またその身に蘿(こけ)また檜榲(ひすぎ)生(お)い」というのは熔岩流の表面の峨々(がが)たる起伏の形容とも見られなくはない。

 

「その長さ谿(たに)八谷(やたに)峡(お)八尾(やお)をわたりて」は、そのままにして解釈はいらない。

 

「その腹をみれば、ことごとに常に血爛(ただ)れたりとまおす」は、やはり側面の裂罅からうかがわれる内部の灼熱状態を示唆的にそう言ったものと考えられなくはない。「八つの門」のそれぞれに「酒船を置きて」とあるのは、現在でも各地方の沢の下端によくあるような貯水池を連想させる。熔岩流がそれを目がけて沢に沿うておりて来るのは、あたかも大蛇が酒甕をねらって来るようにも見られるであろう。

 

八十神が大穴牟遅(おおなむち)の神を欺いて、赤猪だと言ってまっかに焼けた大石を山腹に転落させる話も、やはり火山から噴出された灼熱した大石塊が急斜面を転落する光景を連想させる。

 

大国主神が海岸に立って憂慮しておられたときに「海を光(てら)して依り来る神あり」とあるのは、あるいは電光、あるいはまたノクチルカのような夜光虫を連想させるが、また一方では、きわめてまれに日本海沿岸でも見られる北光(オーロラ)の現象をも暗示する。

 

出雲風土記には、神様が陸地の一片を綱でもそろもそろと引き寄せる話がある。ウェーゲナーの大陸移動説では大陸と大陸、また大陸と島嶼との距離は恒同でなく長い年月の間にはかなり変化するものと考えられる。それで、この国曳(くにび)きの神話でも、単に無稽な神仙譚ばかりではなくて、何かしらその中に或る事実の胚芽を含んでいるかもしれないという想像を起こさせるのである。

 

あるいはまた、二つの島の中間の海が漸次に浅くなって交通が容易になったというような事実があって、それがこういう神話と関連していないとも限らないのである。

 

神話というものの意義についてはいろいろその道の学者の説があるようであるが、以上引用した若干の例によってもわかるように、わが国の神話が地球物理学的に見てもかなりまでわが国にふさわしい真実を含んだものであるということから考えて、その他の人事的な説話の中にも、案外かなりに多くの史実あるいは史実の影像が包含されているのではないかという気がする。少なくもそういう仮定を置いた上で従来よりももう少し立ち入った神話の研究をしてもよくはないかと思うのである。

 

きのうの出来事に関する新聞記事がほとんどうそばかりである場合もある。しかし数千年前からの言い伝えの中に貴重な真実が含まれている場合もあるであろう。少なくもわが国民の民族魂といったようなものの由来を研究する資料としては、万葉集などよりもさらにより以上に記紀の神話が重要な地位を占めるものではないかという気がする。

 

以上はただ一人の地球物理学者の目を通して見た日本神話観に過ぎないのであるが、ここに思うままをしるして読者の教えをこう次第である。 (初出  昭和八年 雑誌『文学』)

 

 

 

 

アマテラスの「常夜神話」は日食ではない!

 

スサノオの乱暴に怒ったアマテラスが岩屋に隠れたため、永遠のような夜がつづいた「岩戸神話」については、太陽を月が隠す日食現象を神話化したという有名な説がありますが、寺田寅彦は、物理学者らしい合理性をもって、これを否定しています。

 

これらの記事を日蝕に比べる説もあったようであるが、日蝕のごとき短時間の暗黒状態としては、ここに引用した以外のいろいろな記事が調和しない。神々が鏡や玉を作ったりしてあらゆる方策を講じるという顛末を叙した記事は、ともかくも、相当な長い時間の経過を暗示するからである。 (『神話と地球物理学』)

 

 当サイトの筆者は、寺田寅彦の断言に、「その通り!」とおもったのですが、いかがでしょうか。 

 

 日食は、理論的な最長時間が七分三十秒程度だといいますから、「永遠の夜」になったと、大騒ぎするほどの問題ではありません。たいがいの日食は四、五分程度なので、人々が、あるいは神々が集まって、相談し、対策を講じ、祈りを捧げる時間もないくらいです。

 

ところが、古事記の注釈書、解説書をみると、アマテラスの岩戸隠れについて、日食説、冬至説があげられていても、火山説をみることはほとんどありません。(ネット上では火山説もよく目にしますが)

 

文人としても名高い東大の物理学教授が唱えた「火山説」が、なぜ、古事記研究者にうけいれられなかったのでしょうか。

 

理由のひとつは、日食の継続時間についての、一般的な常識が、ふた昔まえの日本にはなかったのかもしれません。今であれば、グーグルですぐわかることなので、見過ごしがちですが、理系がかった知識を文系の学者が入手するのは簡単ではなかったはずです。

 

でも、専門家にきくとか、専門書をみれば、わかりそうな話です。

 

第二の理由は、巨大な火山噴火による長期にわたる平均気温の低下、それにともなう食糧危機、社会不安、すなわち「火山の冬(volcanic winter)」とよばれる現象が、知られていなかったからだとおもいます。

 

考古学者、地質学者らによって、「火山の冬」をめぐる議論が本格化するのは、二十世紀も後半のことですから、当然、寺田寅彦もワノフスキーもそれを知りませんでした。

 

それにもかかわらず、太陽神アマテラスが隠れてしまう神話を、火山噴火に沿って読み解こうとした二人は偉い! とおもいます。 

 

 寺田寅彦を再評価しようという機運があるやにうかがいますが、火山神話についての先駆性も、ポイントのひとつとしていただきたいです。

 

 

 

「仮説的思考」がたいせつであること

 

近現代における学術的な研究者の多くは、神話と歴史を別のものとして区分けし、神話については、その構造を分析したり、海外の神話と比較したり、ということに熱中したようです。

 

『神話と地球物理学』で、面白いのは、寺田寅彦が、そうした古事記神話の研究動向に、はっきりと不満をあらわしていることです。

 

以上引用した若干の例によってもわかるように、わが国の神話が地球物理学的に見てもかなりまでわが国にふさわしい真実を含んだものであるということから考えて、その他の人事的な説話の中にも、案外かなりに多くの史実あるいは史実の影像が包含されているのではないかという気がする。

 

少なくもそういう仮定を置いた上で従来よりももう少し立ち入った神話の研究をしてもよくはないかと思うのである。

 

「史実あるいは史実の影像」という口調など、寺田寅彦のふところの深さというか、精神のきめ細かさがうかがえて興味ぶかいものがあります。

 

古事記神話に、はるかな過去の火山噴火の記憶がのこっているとしても、それは史実というより、その「影」としかいえないような、ぼんやりとしたものであるはずです。

 

仮にそのような「影」があるとしても、よほど精神を集中させ、目をこらさなければ、見つかることはないでしょう。

 

津田左右吉のように、古事記神話のほとんどは当時の編纂者がつくりあげたもの、スサノオもご都合主義で造形されたキャラクターにすぎない、などと断言してしまうと、自ら、視力を弱め、視野を狭くすることになるのではないかとおもいます。

 

古事記のなかに火山の記憶があるのではないか。

 

それは縄文時代、旧石器時代にさかのぼるほではないか。

 

と言ってみたところで、それは容易に証明できることではないし、しょせんは、「仮説」的な視点ということにすぎないかもしれません。

 

しかし、そうした仮説的思考を踏まえたほうが、「従来よりももう少し立ち入った神話の研究」ができると、寺田寅彦はいっているのです。

 

 

少なくともそのほうが、面白く、生産的に、古事記神話を楽しめるのではないでしょうか。 

 

 

 

 

寺田寅彦は夏目漱石の盟友にして、俳人でもありました。

 

最後に、松岡正剛氏、推薦の寺田寅彦の一句。栗(くり)ではなく、粟(あわ)バージョンで引用されています。

 

 

粟一粒 秋 三界を蔵しけり

 

 

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