『火山と日本の神話──亡命ロシア人ワノフスキーの古事記論』

 

【まえがき】

 

 本書の主人公であるアレクサンドル・ワノフスキー(一八七四~一九六七)は戦前の早稲田大学で、ロシア語、ロシア文学を講じていた亡命ロシア人ですが、もとはレーニンらと活動をともにしていたロシアの革命家でした。革命運動から離脱し、亡命した日本で後半生の四十八年を生き、東京都内の墓地で永眠しています。古事記に魅了されたワノフスキーは、その神話が発生する起源を求めて、冒険心に満ちた研究に乗り出しました。そして、遠い過去の日本列島で、巨大な火山噴火に遭遇した人たちの精神に目を向けたのです。

 想像を絶する自然現象を前にして、その意味を探ろうとする哲学的な思考、その驚異の情景を詩的にあるいは物語として言語化しようとする文学的な意志、そして目撃した事実を後世に伝えたいとおもう歴史記述者のような情熱、そうした精神がないまぜとなった"火山の叙事詩"として日本の神話は誕生した。そう確信したワノフスキーは独創的な古事記論を書き上げました。それはこんな内容です。

──日本列島ははげしい火山活動の中から発生したが、その混沌とした大地を鎮めるため、天上の神々は火山の神々と闘う必要があった。火山の神々をなだめ、その協力をとりつけることによって、日本列島の国づくりは始まった。したがって天上の神の子孫として、この列島に君臨した王は、火山と地震により象徴される大地の活動をコントロールできると信じられた──。

 ワノフスキーの古事記研究は一九五五年(昭和三十年)十二月、『火山と太陽──古事記神話の新解釈』として出版されています。それから六十年、私たちは『火山と太陽』を改めて紹介し、ワノフスキーの古事記研究の全貌とその人物像を多角的に分析するこの本を出版することになりました。火山と地震に宿命づけられた日本列島の歴史と未来を考えるうえで、『火山と太陽』には豊かな価値があると確信するからです。

 本書は四部構成で、複数の視点から、ワノフスキーの火山神話論を探っています。第一部では、『火山と太陽』のほぼ全文を復刻しているほか、ロシアでの革命運動を回顧した手記、浅間山についての散文詩的なエッセイを掲載しています。第二部「『火山と太陽』を読む」は、専門家による解説と感想です。地質学者の野村律夫氏(島根大学教授)は、『火山と太陽』のなかに、歴史の時間を越えて地質年代的な「地球の時間」について思考しているワノフスキーを見ています。野村氏は出雲地方をフィールドとする研究者ですが、出雲地方が火山的風土を濃厚にもっていることについて、二千万年まえの日本列島の誕生時にさかのぼって解説しています。歴史学者の保立道久氏(東京大学名誉教授)は、岩波新書『歴史のなかの大地動乱』をはじめ、地震や火山についての研究で知られていますが、『火山と太陽』について、「それは倭国神話のすべての側面、その本質に火山神話をすえて考えようという立場の宣言であった」と述べています。

 第三部は、「火山と革命」と題したワノフスキーの評伝です。革命家であったワノフスキーが、どのような歴史的な背景のなかで、『火山と太陽』を書くに至ったのかを検証しています。長年、ワノフスキーの足跡を調査している滝波秀子氏(元早稲田大学図書館々員)の研究をもとに本稿はまとめられています。

 第四部「火山と神話の現場からの報告」では、古事記神話の舞台となっている九州南部、出雲地方をフィールドとする火山研究者の協力を得て、『火山と太陽』の地質学的な背景を探っています。九州南部はもとより、出雲地方も火山的風土の濃厚なエリアであることは、ワノフスキーの火山神話論を理解するうえで貴重なデータであるといえます。

 詳しい経歴は第三部に譲り、ここでは、『火山と太陽』を読んでいただくうえでの予備知識として、ワノフスキーの経歴を年表にして紹介しておきます。

 

一八七四      ロシアで出生。父は退役大佐、母は大地主の娘。

一八九八   ソ連共産党の前身政党の結党大会に参加。逮捕され、三年の流刑。

一九一〇      革命運動から離脱。 

一九一四      第一次世界大戦はじまる。志願して前線へ。

一九一七   ロシア革命。

一九一九   日本へ渡航、そのまま定住し亡命者となる。

一九二一   早稲田大学ロシア文学科講師となり、二十年ほど勤務する。

一九二三   関東大震災直前の八月、火山島・伊豆大島で神秘体験。

一九四一   第二次世界大戦中のこの年、『火山と太陽』初稿完成。

一九五五   『火山と太陽』の出版。八十一歳。

一九六七   九十三歳で死去、高尾霊園に葬られる。

 

 『火山と太陽』が出版されたのは終戦から十年後、アメリカを中心とする連合国による占領の終了からわずか三年目でした。戦前、戦中、日本神話は政治権力のご都合主義で解釈され、いびつな形で教育現場にまで持ち込まれていましたが、戦後はそれが全否定され、社会のあらゆる場所から神話は一掃されてしまいます。日本神話にとっては冬の時代。古事記論を出版するタイミングとしては最悪でした。わずかながら好意的な書評がのこっていますが、古事記や神話の研究者には黙殺され、一般読書人の関心もあまり引きませんでした。戦後の復興期から高度成長期にかけて、日本列島の火山や地震の活動がまれに見るほど平穏であったことも、黙殺と無関心の一因かもしれません。

 しかし、平成時代に暮らす私たちはこの列島の大地が時として、すさまじい狂乱の形相をあらわすことを知っています。二〇一一年の東日本大震災はもちろん、一九九五年の阪神淡路大震災の記憶もまだ生々しいものです。多くの人命を奪った雲仙、御嶽山の噴火。穏やかな観光地であったはずの箱根山ではこれまで見たことのない噴煙が上がり、富士山噴火に備えた行政的な対応も始まっています。

 日本列島の火山は新たな活動期に入ったという専門家もいます。日本列島に住む私たちは火山と、どのように向き合えばいいのか。この列島の精神の歴史のうえで、火山はどのような存在であったのか。それを考えるヒントとして、この本がすこしでも貢献できればと思います。

 

 

【目次】

目次

 

まえがき

■第一部 アレクサンドル・ワノフスキー『火山と太陽』ほか

 

□火山と太陽──古事記神話の新解釈

 

 女神イザナミ

津田左右吉らの論考を検討する/ 諸外国の大地の女神との比較/ 日本列島を産んだ火山の女神/ なぜ、イザナギ、イザナミは闘争したのか

 

 スサノオの神

ヨミの国は火山の国か/ スサノオの涙と火山の涙/ 古事記と噴火現象を比較してみると/ 大地を鎮める祝詞

 

 

 女神アマテラスの遺言の基礎

火山の神は善悪ふたつの顔をもつ/ スクナビコナの化学反応/ 水の神話、火の神話

 

 主題の探究

創成神話と建国神話の類似構造/ 神武天皇を倒した「熊」は火山なのか/ 神話と国土の有機的統一/ 国譲り──大地を鎮めるタケミカヅチ/ サルタヒコ──天孫降臨を火山神話として読む/ 火山の叙事詩

 

 古事記と聖書における創成神話

戦前期の異端史観──日本民族メソポタミア起源説/列島移住者の遙かな記憶

 

□運命の謎──古事記神話を研究した道程について

 

素晴らしい宇宙の祭典/ 火山島にて/ 幻影と大震災/ 古事記の迷宮/ 夢の自己分析

 

□大きな運命を担う人──地下運動時代のレーニンを語る

 

□浅間山の幻想

 

 

■第二部 『火山と太陽』を読む

 

「地球の時間、人間の時間」 野村律夫(島根大学教授)

「歴史学からみる火山神話」 保立道久(東京大学名誉教授)

 

 

■第三部  評伝ワノフスキー「火山と革命」

 

ロシアにて

 

歴史の舞台の登場人物として/ ロシア革命の幼年期/ 風景のなかの聖なる気配/ 革命家ワノフスキー/ レーニンへの批判と畏敬──欺瞞に満ちた現代のモーゼ

 

大正時代から戦前の日々

 

早稲田大学ロシア文学科/ 火山の神々──三原山、浅間山、富士山への旅/ 伊豆大島──プレートがつくった火山群島/ 夢と同じ物質から我々は作られている/ 関東大震災のあと、火山神話が語られはじめた/ 寺田寅彦の火山神話論/ 関東大震災を予言?/ ロシアの小泉八雲、グリゴーリエフ/ 浅間山のふもとにて──戦時下における強制移住

 

晩年の輝き

 

八十一歳のデビュー作/ 黙殺と賞賛/ 畏るべき九十三歳/ 挫折した革命家──北一輝とワノフスキー/ 大地の裂け目から出現する菩薩たち/ 世界の終わりと火山──「ヨハネ黙示録」/ 亡命ロシア人社会、最後の証言者/ 断絶の四半世紀/ 大いなる未知に囲まれて/ 火山の神の巡礼者

 

 

■第四部 火山と神話の現場からの報告

 

日向神話と火山

 

九州南部で史上最大の噴火が起きた/ 天孫降臨──火山を鎮める王/ 高千穂峰は縄文時代に出現した

 

出雲神話と火山

 

出雲でも起きた超巨大噴火/ 国引き神話の舞台裏──実は火山が多い島根県/ 地震を鎮める鹿島の神/ なぜ、日向と出雲が神話の舞台とされたのか/ 出雲から熊野火山へ

 

文献リスト

あとがき