火山と神話の現場からの報告  

   (『火山と日本の神話──亡命ロシア人ワノフスキーの古事記論』第四部より)

 

日向神話と火山

 

九州南部で史上最大の噴火が起きた

 

このセクションでは、日本神話の最も重要な舞台となっている九州南部、出雲地方をフィールドとする火山研究者の協力を得て、『火山と太陽』で展開されてている議論の地質学的な背景を検証する。本書のテーマにおいて重要な意味をもつのは、九州南部はもとより、出雲地方も火山的風土が濃厚なエリアであることだ。

ワノフスキーは日本列島における火山活動の歴史を地質学的に探究することは、古事記研究において大きな意義をもつと考え、『火山と太陽』でこう述べている。

 

祖国の各火山の歴史を知悉している日本の地質学者は、恐らく神話発生時代の究明に新しい光明を注ぎ、なんらかの寄与をなし得るだろうと思う。

もしも噴火の古代記録が残っているとしたら、そのような記憶のひとつによって、古事記神話の生まれた時代をはっきりと決めることもできるであろう。

 

ワノフスキーが生きていたころ、日本列島の火山活動史の研究ははじまったばかりで、データの蓄積は乏しかった。一九七〇年代以降、全国各地に堆積している火山灰の年代が次々に特定された結果、日本列島において、いつ、どの火山で、どの程度の規模の噴火があったかということがおおむね判明している。さらに考古学の研究によって、日本列島にまとまった数の人類が暮らしはじめるのは四万年まえ以降(後期旧石器時代)ということもわかってきた。それにもとづき、鹿児島県域で三万年ほどまえに発生した超巨大噴火が、日本列島の居住者によって体験された最大の噴火であろう、と現時点では考えられている。九万年ほどまえ阿蘇山で起きた噴火が規模のうえではより大きいが、目撃者がいた確証はないからだ。

この分野の第一人者である町田洋・東京都立大学名誉教授によると、三万年まえの超巨大噴火によって地上にはき出された噴出物は、富士山が十万年近くかけて放出した噴出物の総量とほぼ同じだという(『火山灰は語る』)。

すさまじい量のマグマが放出されたあと、地表の均衡は失われ、大陥没を生じる。それがカルデラだ。鍋を意味するスペイン語に由来する。

三万年まえに鹿児島で起きた超巨大噴火では、直径二十キロメートルの陥没が生じた。姶あい良ら カルデラと呼ばれる巨大な鍋型地形は、現在の鹿児島湾の一画となっているが、そのカルデラの縁に新たに出現したのが桜島だ。

姶良は古代からある地名で、現在は鹿児島市に隣接して姶良市がある。古事記によると、この地名を負うアヒラ姫がカムヤマトイワレヒコ(神武天皇)の妻である。

 

「鹿児島市の港からフェリーで、桜島に向かうとき、鹿児島湾を囲む茶色の断崖が目に入りますが、これが三万年まえの巨大噴火で生じたカルデラの壁面にあたります」

 

桜島ミュージアムの福島大輔理事長(博士号をもつ火山学者)は、現在の風景から三万年まえの巨大噴火を説き起こす。桜島はいまも噴煙を絶やさず、島のいたるところで溶岩や火山灰をみることができる。三万年まえの巨大噴火のとき、この土地では、どのような事態が生じたのか。福島理事長はこう説明する。

 

「巨大な噴煙の柱は空高く立ちのぼり、やがて自らの重みに耐えられず崩れました。崩壊した噴煙柱は火山灰や火山ガスを成分とする火砕流となり、時速百キロを超えるすさまじい勢いで広がります。その日のうちに鹿児島県のほぼ全域と宮崎県、熊本県の多くの部分が火砕流によって埋め尽くされました。火砕流の固まりはシラス台地という土壌となって、痕跡を今にとどめています。外国の研究者のシミュレーションによると、姶良カルデラの噴火に際して、高さ四十四キロメートルの噴煙柱が発生したと報告されています。成層圏でも高いところであり、もはや宇宙に迫ろうかという領域です」

 

ワノフスキーは天空を炎が乱舞する夢をみて、それを「宇宙」の夢だと言っていたことを思い出す。火山の巨大噴火はまさしく宇宙的なスケールなのである。縄文時代の七千三百年まえにも超巨大噴火が発生した。噴火したのは鹿児島県の南にある沖合で、噴煙の柱が倒壊して生じた火砕流は海を越えて本土に達し、九州南部を灼熱の世界に変えた。鬼界アカホヤ噴火とよばれ、その痕跡である鬼界カルデラは薩摩硫黄島、竹島をの

ぞくと海中にある。九万年まえの阿蘇、三万年まえ、七千年まえの鹿児島での超巨大噴火は、そのたびごとに九州の半分を火砕流で埋め尽くし、人間をふくめてほとんどの動植物を死滅させた。その火山灰は関東、東北、北海道にまで達し、地層のなかに痕跡をのこしている。富士山、浅間山、三原山などの噴火とは比較できないほど巨大なスケールで、桜島のある鹿児島湾は何度かの巨大噴火で形成されたカルデラである。そのメカニズムも異なることから、「破局噴火」あるいはカルデラ噴火、スーパー・ボルケーノといって区別されている。

欧米ではノアの方舟の伝説をめぐって、もし洪水神話が事実であったとしたら、それは、いつ、どこで起きたのかという問題がかねてより議論されている。ワノフスキーはそれをよく知っていたから、古事記のなかの火山神話の背景に具体的な火山の噴火を探ろうとした。そして、「活火山の真の王国である九州」(『火山と太陽』)、そのなかでも最も巨大な阿蘇山こそ「火山の王」(同)だとして注目している。

阿蘇山で九万年まえに起きた破局噴火は、日本列島の火山史において最大級の噴火だとされるが、本稿では鹿児島県域の火山を中心的な話題としたい。阿蘇山と古事記神話のつながりがあまり見えないというのが理由のひとつ。もうひとつは阿蘇山と違って、鹿児島での破局噴火は、まちがいなく列島住民に目撃されており、そこから神話や伝承が生じたかもしれないからだ。

 

「火山の冬」とアマテラス神話

 

七千年まえに鹿児島の南方の海域で起きた超巨大噴火は、「完新世(約一万年以降)における地球上で最大の噴火である」(月刊『科学』二〇一四年一月号所収「カルデラとは何か。鬼界大噴火を例に」東京大学地震研究所・前野深)とも考えられている。縄文時代の日本列島において、地球史レベルの大事件が発生しているのだ。

これもワノフスキーの死後、進展した研究分野だが、こうした超巨大噴火のあとには、「火山の冬(volcanicwinter)」といわれる地球規模の寒冷化が生じていることがわかってきた。大気中を漂う火山性の微粒子は数週間で姿を消すが、噴煙が成層圏に達するような超巨大噴火が起きると、微粒子は二、三年におよんで滞留して太陽光を遮断し、同緯度の広いエリアに平均気温の低下をもたらすと考えられている。九州南部で起きた破局噴火は、福島理事長が解説するように、成層圏レベルの噴火であり、考古学的に実証されてはいないものの、「火山の冬」を招いた可能性がある。

歴史上はっきりしているのは、インドネシアのタンボラ火山の超巨大噴火により、世界的な低温現象が生じたことで、一八一六年は北半球で夏に雪が降った「夏のない年」(year without summer)として記録されている。

一七八三年、アイスランドのラキ火山で巨大な噴火が起きたあと、世界各地の農業に深刻な被害が生じ、食糧不足がフランス革命(一七八九年)の誘引となったという見解もある。江戸時代の飢饉のなかで、最も深刻な事態を招いた天明の飢饉の時期とも重なっている。(『歴史を変えた火山噴火』石弘之)

太陽神アマテラスが隠れて永遠のような夜が続いたという岩戸隠れ神話をめぐっては、冬になって衰弱する太陽の輝きの復活を祈る冬至の祭祀に由来するという説(折口信夫ほか)、日蝕により太陽が消えるように見える現象に由来するという説(大林太良ほか)がよく知られているが、寺田寅彦やワノフスキーなどが主張する「火山灰と噴煙によって太陽光線が遮断された現象に由来する」という説は古事記の注釈や解説書にはほとんど書かれていない。従来、奇説のひとつと見なされていたようだ。

古事記は、高天原も葦原中国もずっと夜が続き、「万よろずの妖わざわい、悉ことごとく発おこりき」としるす。ワノフスキーは「火山の冬」という火山研究の現代的な視点を知らなかったはずだが、彼が『火山と太陽』で提示しているイメージはそれに近似しており、太陽が衰弱した世界の、深刻な社会不安が暗示されている。爆発と地震が始まる。煙、灰その他の噴出物の、巨大な柱が天上高く舞い上がる。煙の渦巻きと大量の灰が明るい空を汚し、太陽の光を曇らせる。(中略)昼が夜のようになる。(中略)全国はあやめも分かぬ闇黒へと沈む。闇の中から邪悪な神々がその声をあげ、至る所に様々な不幸が起こった。九州南部では三万年まえの超巨大噴火のときにも旧石器時代の人たちの営みがあったが、一万年ほどまえには、その時期の縄文文化の繁栄地のひとつとなり、安定した狩猟採取社会が築かれていた。上野原遺跡(鹿児島県霧島市)は日本列島でも最古級の定住した縄文人のムラとして有名で、ちょっとした観光地にもなっているが、七千年まえの超巨大噴火によって、九州南部は無人の荒野と化した。直接の原因は、噴煙柱の倒壊により生じた火砕流だが、それに加えて「火山の冬」の暗雲が、数年というスパンで日本列島を覆った可能性がある。もしそうであるならば、破局的な火山噴火は、九州にとどまらず、日本列島に住むすべての人が遭遇した〝歴史的事件"であったことになる。火山噴火によってもたらされた暗黒の世界のなか、人々は太陽の復活を願って祈り、そこから火山の神スサノオと戦うアマテラスの神話が発生した─ワノフスキーはそう主張している。

日本列島において、このクラスの超巨大噴火は一万年に一回ないし二回というきわめて低い頻度ではあるが、繰り返し起きている。七千年まえの縄文時代の噴火を最後に生じていないが、もし今、こうした超巨大噴火が発生したとすると、国家機能は瞬時にして喪失するという予測が火山学者によって示されている(『地震と噴火は必ず起こる』巽好幸)。

 

天孫降臨―火山を鎮める王

 

古事記によると、アマテラス率いる高天原の神々は、オオクニヌシに地上の支配権を譲るよう迫り、闘争はあったものの、その委譲が決まる。地上を統治すべく、高天原から降りてきたのが、天皇家の始祖神ニニギだった。古事記には「日向の高千穂のくじふるたけに天降りましき」と記されており、天孫降臨の地を日向国としている。

現代においては、日向国は宮崎県の古い呼び名のようにつかわれているが、時代をさかのぼるほど、鹿児島県や熊本県の一部をふくむ広い地域を指す地名となるので、古事記の文脈では九州南部と理解されている。ニニギからカムヤマトイワレヒコ(神武天皇)の父親までの三代は日向国を舞台とするので、日向神話と称されている。

天孫降臨神話は、アジア大陸あるいは南方からの移住が伝承されたものだという解説をよく目にする。水平的な移動が垂直的な神話に変換されたという説明はもっともらしいが、どうして、九州南部が移住先なのかという疑問が生じる。これは神話であり、史実とは無縁と考える人のほうが多いかもしれない。しかし、フィクションであるならば、なぜ、天皇家―というよりも国家の起源を九州南部に求める必然性があったのだろうか。

九州南部はクマソと呼ばれる異風な人たちの居住する地域で、古事記が編纂されたとされる八世紀はちょうど、クマソの勢力をヤマト国家に組み入れるための戦争がつづけられていた。天孫降臨はこの戦争を神話的に物語ったものだという有力な説があり、ベストセラーになった『口語訳 古事記』の著者三浦佑之・立正大学教授もこの説を支持している。ワノフスキーは天孫降臨について、「天上の神々は、その馬鹿騒ぎで地上に混沌をまき起こした恐ろしい火山をとりしずめた」(『火山と太陽』)行為であると考え、以下のような一文を書きのこしている。

 

大地は創られたが、大地は最も強烈な噴火と地震のなかで現れた、自己の火山的発生の痕跡を持っている。かかる秩序、あるいはより適切にいえば、かかる無秩序のもとでは、地上で生活することは困難であり、まして国家を創ることなどはいよいよ困難である。火山活動を鎮めること、そしてそれを一定の境界内にとじこめること(中略)が必要なのである。ここから強制的な必然性を以て、天上の神々や、その子孫たちの地上の事柄への干渉が起こってくる。けだし、彼らだけが火山的現象を組織化し、鎮める能力を持っているからである。

 

ワノフスキーは、国家的な祭祀のはじまりを、荒ぶる大地を鎮める祈りにあると考えている。これを果たすため、天皇家の始祖神ニニギは九州の火山地帯に降り立つ必要があった。それは歴史的事実としてというよりも、神話的レベルにおいてということになる。このように『火山と太陽』では、天皇制の起源を火山信仰とリンクする議論が展開されており、異色の日本国家論としても読むことができる。

 

 

高千穂峰は縄文時代に出現した

 

天孫降臨神話については、ふたつの伝承地がある。そのひとつは鹿児島と宮崎の県境に位置する高千穂峰だ。標高一五七四メートル、霧島連山の第二峰で、七千年まえから八千年まえ、すなわち縄文時代の噴火によって出現した成層火山である。高千穂峰の出現は、七千三百年まえとされる破局噴火(鬼界アカホヤ噴火)とほぼ同じころに起きている。縄文時代の九州南部では、想像を絶するスケールの火山活動がつづいていたことがわかる。

霧島とはエリア名であり、三十×二十キロメートルの円形のなかに火山や火口に由来する湖が二十ほど集まっている。その広大な円形の周囲をJR九州の線路が走っている。火山の多い日本列島においても、代表的な火山の集積地であり、温泉と雄大な自然が楽しめる高原観光地だ。三十万年まえから、休止期間をはさみながら、巨大な噴火をたびたび起こしており、現在も新しん燃もえ岳だけなどで噴火が継続している。

高千穂峰登山の起点であるビジターセンターの近くに霧島神宮(鹿児島県霧島市)の遥拝所があり、火山の鎮撫を祈願してきた歴史をうかがわせる。火山に由来する小石と砂で非常にすべりやすい斜面を二時間ほど登ると山頂に到着する。火口は溶岩で封印され、いわゆる溶岩ドームを形成している。そこには昔の修験者の仕業らしいが、青銅の鉾ほこが差し込まれている(今のものはレプリカ)。

北西方向に見える高い山が、霧島連山の主峰韓から国くに岳でやはり火山である。古事記の記述のうえでは高千穂に降りたニニギは「ここは韓国に向かい、笠沙の御前をまき通りて……」という言葉を述べている。「韓国」はふつう朝鮮半島と解釈されるが、韓国岳と高千穂峰は、霧島火山群のナンバー1、ナンバー2でもあるから、韓国岳のことを指すという説もある。高千穂峰は縄文時代のあと大きな噴火をしていないが、山頂に至る道の途中にある巨大なすり鉢のような火口(御鉢火山)は大正時代まで噴煙をあげていた。

九州南部に降り立ったニニギは、この地の神であるコノハナサクヤ姫を妻とした。一夜にして懐妊したこの女神は、産屋に火を放ち、炎のなかで三人の子を産んだ。桜島ミュージアムの福島理事長は、この女神を火山神話の文脈で考えている。

 

「桜島の地名語源については諸説あるのですが、そのひとつにコノハナサクヤ姫を祀る島、すなわちサクヤ島から転じたという説があります。その真偽は不明ですが、桜島の月読神社ではこの女神が祭神となっています。一般にコノハナサクヤ姫は桜の花の女神といわれますが、富士山信仰の拠点である浅せん間げん神社の祭神です。本来は火山の女神だったのではないでしょうか」

 

古事記にしるされている系譜によると、コノハナサクヤ姫は、大オオ山ヤマ津ツ 見ミノ神カミ、つまり山の神の王者のような神の娘である。コノハナサクヤ姫が火山の女神であるなら、ニニギとの結婚は、ワノフスキーの表現を借りれば、天の神と火山の神のあいだの和睦的な結婚ということになる。

天孫降臨神話のもうひとつの伝承地は宮崎県高千穂町だ。こちらは熊本との県境に近く、九万年まえ、阿蘇山の破局噴火で形成された火砕流台地の一画を占める。高千穂渓谷には、六角形の岩柱がおりなす雄大な風景があるが、これは火砕流が冷却するときにできた柱状節理だ。典型的な火山由来の岩石形状である。いずれにせよ天孫降臨の舞台が九州南部であることを古事記、日本書紀は明記している。そこは日本列島でも最大の火山エリアで、破局噴火とよばれる超巨大噴火が繰り返し起きた。

 

 

出雲神話と火山

 

出雲でも起きた超巨大噴火

 

ワノフスキーが火山神と名指ししているのは、イザナミ、スサノオ、オオクニヌシ、アジスキタカヒコネなど出雲系の神が多く、高天原の神々と出雲の神々が戦った国譲り神話を、天上の神と火山の神の闘争であると指摘している。出雲の宗教的権威を象徴する祝詞「出雲国造神賀詞」の文言のなかにも、ワノフスキーは火山との結びつきを見ている。ワノフスキーの古事記論に従うならば、出雲は火山の神々の割拠する「火山の王国」だ。神話世界の出雲は、行政区分としての出雲国よりも広く、隣の鳥取県や隠岐の島をふくむエリアを舞台としている。それを念頭におきつつ、『火山と太陽』の地質学的な風景をみてゆきたい。

通常の噴火とはスケールにおいてもメカニズムにおいても異なる超巨大噴火を「破局噴火」というが、もともとはジャーナリズム的用語であるので、科学的な定義はあいまいだ。火山学者の早川由紀夫・群馬大学教授は噴火時の噴出物の総量を基準として、日本列島では過去十二万年間に、破局噴火が十八回、発生したとしている(『月刊地球』二〇〇三年十一月号所収「現代都市を脅かすカルデラ破局噴火のリスク評価」)。その多くは九州、北海道、東北の火山であるが、鳥取県の大山、島根県の三瓶山がふくまれている。島根県や鳥取県に火山のイメージは希薄だが、過去においてはすさまじい破局噴火を起こしているのだ。別の言い方をするならば、過去十数万年間の火山噴火の規模をランキングしたとき、そのベスト20に山陰地方の二つの火山が入っている。これは無視しがたい科学的な事実である。当然ながら、それよりも小規模の噴火は何回も繰り返されている。

大山(標高一七二九メートル)は、平地にすっくとそびえる秀麗な山容によって、伯耆富士、出雲富士とも称される。九州をのぞく西日本では最大の火山である。一万何千年まえの噴火を最後に大きな活動はないので、現在の定義では活火山ではないが、奈良時代に編纂された『出雲国風土記』はこの山を「火神岳」と呼んでいる。

縄文人が最後の噴火を伝承していた可能性はあり、この山名は火山信仰に由来するという説もある。四万五千年まえの噴火は特に規模が大きく、東北地方にも火山灰をのこしている。早川教授の分類では、これが「破局噴火」である。このときの噴出物(大山倉吉テフラ)は、三万年まえの鹿児島湾からの噴出物(姶良Tnテフラ)

とともに、列島各地の原子力発電所で火山灰被害を検討する際の指標にもなっている。

三瓶山(標高一一二六メートル)は大山とは反対に、定義変更により最近になって活火山と認定された。男三瓶山、女三瓶山、子三瓶山、孫三瓶山と呼ばれる山々が輪をなして連なり、地元の人たちが「帽子のつば」のようだというなだらかな斜面がそれぞれの山を取り巻いている。明るく穏やかな景観で、登山、ハイキング客に人気のある山だ。

輪になった山々の真ん中に火口跡とみられる窪地がある。現在の三瓶山で目立った火山活動はないが、火口跡にある「鳥地獄」とよばれるあたりでは火山ガスの噴出がみられる。山の周囲には三瓶温泉のほか、数か所で温泉が出ている。

噴火活動をはじめたのは十万年まえくらいからで、七回ほど大きな噴火を重ねている。十万年まえの最初の噴火は特に規模が大きく、巨大な噴煙柱、火砕流が生じた。これが東北地方にも火山灰を降らせた「破局噴火」と分類されている。三瓶山のふもとにある島根県大田市などの市街地では、このときの火砕流が冷え固まってできた凝灰岩をみることができる。

国引き神話の舞台裏―実は火山が多い島根県三瓶山に火山の印象があまりないのは、歴史年代において大きな噴火をしていないからだ。縄文時代には何度か大きな噴火があり、規模は劣るが、弥生時代にも噴火があった。

一九八三年、縄文時代の噴火を知る意外な証言者が出現した。農業工事のため土を掘り起こしていたとき、杉の巨木が直立した状態で発見されたのだ。これは、縄文時代中期の四千年まえの噴火によって生じた土砂によって、根をはったまま埋没した杉の原生林である。深さ十三メートルの地下施設で保存され一般公開されているが、その樹皮や根は生命のある木のようになまなましい。縄文杉は、三瓶山がすさまじいエネルギーをもつ火山であることを物語っている。

奈良時代にまとめられた『出雲国風土記』の冒頭に、有名な「国引き神話」がある。出雲国がまだできたばかりでもっと小さかったころ、スサノオの子孫である出雲の土着神八や 束つか水みず臣おみ津つぬの野命みことは、国をもっと大きくしたいと思い、海の彼方に余った土地があったので綱で結びつけ、「国くに来こ 、国来」というかけ声にあわせて引っ張った。その土地は海を移動し出雲の国にくっついたので、そのぶん広い国になった―というお話だ。

三瓶山の中腹に島根県立三瓶自然館サヒメルという博物館があり、三瓶山の火山が展示テーマのひとつとなっている。中村唯史学芸員(地学担当)は、「くにびき神話の地質学」という論考を発表し、ふたつの「杭」すなわち三瓶山と大山がいずれも火山であることの重要性を指摘している。中村氏に話を聞くため、三瓶山を訪れた。

 

「実は出雲平野の形成も三瓶山の火山活動と関係があります。縄文時代の中ごろの五千五百年まえと四千年まえに生じた三瓶山の大噴火のとき、川を通じて下流へもたらされた土砂によって平野は急激に拡大し、それまで離島だった島根半島を陸続きに変えました。三瓶山の噴火は文字通り、出雲国の陸地を増やしているのです。神話を考えるうえで、ひとつの視点になるのではないかと思います」

 

そのうえで中村氏は、出雲地方には大山と三瓶山のほかにも多くの火山があることを強調する。

 

「三瓶山のある島根県大田市には世界遺産に指定された石見銀山もあるのですが、銀鉱山の中心であった仙ノ山は百万年以上まえに活動した古い火山です。この山の周囲にはいくつもの古い火山が集まっており、最高峰の山の名をとって大江高山火山群と呼ばれます。銀の鉱脈は火山のマグマ活動から派生したものです。一般の方々にはあまり知られていないことですが、出雲国をふくむ山陰地方は、千万年単位の地質学的なタイムスケールでみると、火山活動の盛んであったところで、火山に由来する多くの鉱山があります。島根県内の至るところに温泉地があることも、それとかかわっています」

 

日本列島の火山を数えるとき、気象庁が活火山に指定している百十という数字が示されることが多いが、それ以外に、「活火山ではない火山」がある。過去一万年以内に噴火したことを主な基準とする活火山の基準には当てはまらないものの、火山であることが明らかな山のことだ。以前は休火山、死火山と呼ばれていた。

国立天文台が編纂するデータブック『理科年表』には、こうした火山もふくめて、二百六十八か所の火山があげられているが、島根県には七か所、鳥取県には四か所の火山がある。九州をのぞく西日本のなかでは、島根県(出雲国)が最も火山の多い県だ。三瓶山のほか、横田火山群、青野山火山群、野呂、大根島、大江高山、隠岐島が火山と明記されている。

 

 

地震を鎮める鹿島の神

 

古事記神話において、出雲国を舞台とする最も重要な場面が「国譲り」である。高天原のアマテラスたちは、出雲国の王者オオクニヌシから、地上世界(葦原中国)の統治権を奪おうとして、繰り返し使者を派遣するがことごとく失敗する。最後にタケミカヅチらが派遣され、闘争があり、地上世界の統治権を高天原の天孫族に譲ることが決まる。

「国譲り」をめぐっては古来、さまざまな議論があるが、出雲国には弥生時代以来、日本海エリアを支配する強大な「出雲王国」があり、ヤマト王権が国内統一の戦いをすすめるときそれに抵抗し、やがて服従した歴史を映し出しているという見方がある。一方で考古学的な知見や文献のうえから「出雲王国」は想定しがたいという否定論も多い。ここでもワノフスキーは火山神話論からこの問題を解き明かそうとしている。

 

自然界の無秩序は、自然の要素の持つ邪悪な意志の結果ではなく、その自己の法則に則って、自然の活動を起こした火山的自然現象の結果なのである。自然現象はあらゆる尺度を超えて振る舞い、間断ない地震は、天孫たちが地上に降り、国家の創建とその統位につくことを許さない。さればこそ何よりもまず、自然現象を制圧し、その活動を許容できる形でおさえることが必要となった。この目的のために、天上の神フツヌシとタケミカヅチの懲罰隊が送られたのである。

 

ここでワノフスキーが書いているフツヌシとタケミカヅチを派遣する話は、日本書紀本文の内容で、古事記ではタケミカヅチと天鳥船神が派遣されている。国譲り神話をめぐる両書の記述はすこし違っているが、どちらにも登場するのはタケミカヅチである。

茨城県鹿嶋市は、北関東有数の工業地帯でサッカーJリーグ鹿島アントラーズのホームとして有名だが、鹿島神宮の門前町でもある。タケミカヅチは鹿島神宮に鎮座する神である。火山神話とのかかわりで注目すべきは、タケミカヅチが地震を抑える力をもっていると信じられていることだ。

鹿島神宮の本殿からずっと離れた奥宮近くに、三十センチほどの石を祀る小さな祠がある。地表に出ている部分は丸いお盆くらいにしか見えないが、地中深くまでつづく巨石であり、それは地震を起こす原因となる巨大なナマズの頭を押さえていると伝えられている。「要かなめ石いし」と呼ばれ、鹿島神宮とは姉妹社のような関係にある近隣の香取神宮(千葉県香取市)にも、同じような形と能力をもつ要石が祀られている。フツヌシは香取神社の祭神である。こうした庶民信仰が、「鯰絵」の背景となっている。

出雲の神々には火山の属性がある。高天原から派遣されたタケミカヅチには火山や地震を押さえ込む強大なパワーがあり、それによって出雲の神々に勝利した。こうして神話的な次元において、大地の平安は達成された―とワノフスキーは解釈している。

古事記神話では、コトシロヌシ、タケミナカタの二神が、オオクニヌシの息子として登場し、国譲りを迫るタケミカヅチの神と対決している。コトシロヌシはあっさりと引き下がるが、タケミナカタは激闘のすえ敗北し、諏訪国(長野県)まで逃走した。『火山と太陽』では、コトシロヌシ、タケミナカタの火山的性格について細かくは検討されていないが、ワノフスキーの議論に従えば、火山の神の一族である。

コトシロヌシを主祭神として祀る神社に、静岡県三島市の三嶋大社があるが、由緒書きには「富士火山帯の根元の神」と書かれ、火山とのつながりが公認されている。一万年ほどまえの噴火の際、富士山から流出した溶岩は神社のすぐそばまで達しており、その痕跡は公園、庭園として保存されている。タケミナカタは長野県の諏訪大社の祭神で、八ヶ岳のお膝元に鎮座する。八ヶ岳は縄文時代のはじめのころまで、大きな噴火を重ねている。

文献のうえではっきりとした噴火の記録はないが、地質学的な調査により、八ヶ岳連峰のひとつ横岳は八百年ほどまえに噴火したことが判明しており、気象庁が認定している百十の活火山のひとつである。

 

 

なぜ、日向と出雲が神話の舞台とされたのか

 

出雲は古代においても、政治的、経済的に顕著な影響力を有していたとはいいがたいのに、宗教あるいは霊的領域においては、伊勢に匹敵し、あるいはそれを凌駕するほどの神秘的な権威をもっている。その権威は何に由来するのだろうか。弥生時代に存在したかもしれない出雲王国の栄光、豊富な砂鉄資源をつかったタタラ製鉄の経済力、出雲に発祥する特異な宗教的伝統など、さまざまな仮説が提示されているものの、諸説紛々というしかない。

古事記では、出雲における「国譲り」の場面のあと、突如、舞台が変わり、日向国における「天孫降臨」の場面となる。さんざん失敗を重ねた末、ようやく出雲国の統治権を得たのに、アマテラス、タカミムスビの指令を受けたニニギたちの一団は出雲には見向きもせず、九州南部に降り立つ。物語の構成としては完全な破綻であり、古事記を読む人を悩ませる。

なぜ、日向と出雲は、日本神話において、特権的な舞台となっているばかりではなく、混線するような物語展開となっているのか。『火山と太陽』を読んだ人であれば、不条理ともいえる場面転換の背後に、日向と出雲の共通点があることに気が付くはずだ。それは破局噴火を起こした巨大な火山の存在である。

世界地図のうえで見れば日本列島は代表的な火山の集積地だが、それでもその分布にははっきりとした濃淡がある。火山学者である小山真人・静岡大学教授は「日本にはプレート境界に沿ってできた火山の密集帯が二つある。ひとつは北海道から東北・関東地方をへて伊豆諸島へと連なる。もうひとつは山陰地方から九州をへて南西諸島に連なっている」(『富士山 大自然への道案内』)と説明している。つまり、日本列島におけるふたつ目の火山ラインの起点が出雲をふくむ山陰地方であり、その南端が日向(九州南部)ということになる。その火山ラインは九州南部から口永良部島、諏訪之瀬島など多くの火山島のある南西諸島へとつづき、その南には世界有数の火山国であるインドネシアの島々がある。

東日本の火山ラインは、東北、関東から静岡県に走るが、愛知県や関西方面には向かわず南向きに折れ曲がり、伊豆半島、伊豆諸島のほうにつづいている。

ふたつの火山密集ラインのうち、西日本の火山ラインによって出雲と日向はつながっている。ワノフスキーは日向の天孫降臨、出雲の国譲りを火山神話だと主張している。

北海道、東北でも支笏湖、十和田湖など巨大な火山湖で破局噴火が起きているが、火山灰は偏西風にのって西へと向かうので、日本列島に大きな痕跡をのこしてはいない。そもそも古代のヤマト王権の支配する領域でさえなかった。古代以来、政治の中心であった近畿地方から見て、おそるべき火山があるのは日向と出雲を結ぶ西日本の火山ラインなのだ。古事記の完成は奈良時代とされるが、都に住んでいた編纂者たちは九州、出雲地方の火山について知識も関心もなかったかもしれない。しかし古事記神話のすべてが奈良時代の編纂者による机上の創作ということでなければ、伝承されてきた神話や昔語りのなかに火山の記憶の痕跡がなかったとはいえない。古事記神話の素材とになった話は、いつ発生したのだろうか。奈良時代からそれほど遠くない古墳時代(三世紀〜七世紀)なのか。それとも弥生時代、縄文時代、それより古い旧石器時代までさかのぼるのか。答えを出しがたい難問であるが、古事記研究者の工藤隆・大東文化大名誉教授は『古事記の起源』など一連の論考で、縄文時代に日本神話が発祥した可能性について検討している。本書第二部「『火山と太陽』を読む」で、鎌田東二氏は古事記神話に旧石器時代の記憶がのこっている可能性を想定している。古事記神話の発生を考えるうえで、火山を無視しがたいのは、ここまで見てきたように、旧石器時代、縄文時代の九州南部において、地球史に特筆される規模の超巨大噴火が起きているからだ。

 

 

出雲から熊野火山へ

 

『火山と太陽』の中心テーマとはいえないが、もうひとつ注目すべきワノフスキーの論点は、日向、出雲に加えて、紀伊半島の熊野を火山神話の第三の舞台として取り上げていることだ。現在、紀伊半島にはひとつも活火山がないので、神武天皇が対決した「熊」の姿をしたモンスターを火山の神とする指摘は、素人研究者の妄言のように見られかねないが、これこそ、『火山と太陽』の探究における最も意義ある発見かもしれない。というのも、地質学的研究によって、日本列島における最大規模の超巨大噴火が熊野において生じたことが、近年、明らかにされつつあるからだ。それにともない、日本を代表する信仰地である熊野の聖性が、火山的風土とからめて論じられることが増えている。

熊野とは、和歌山県の南東部と三重県の一部をふくむエリアで、熊野三山と呼ばれる熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社が鎮座し、古来、日本有数の聖地とされてきた。古事記などによると、神武天皇は生まれ故郷の日向から、東を目指して船で遠征し、いくつかの地点を経て、熊野に上陸したが、巨大な「熊」によって兵士ともども倒され、意識を失うという危機に陥っている。

熊野で巨大な火山活動があったのは千五百万年ほどまえで、日本列島の形成がすすむ大変動の時代である。紀伊半島の東部に、巨大火山群が出現、複数のカルデラが形成されたが、そのひとつが「熊野カルデラ」と呼ばれている。カルデラ地形は風化されて、ごく一部しかのこっていないが、千五百万年まえの噴火によってできた火山性の岩石を詳細に研究することによって、超巨大噴火の全貌が見え始めている(『地質学雑誌』二〇〇七年七月号特集「紀伊半島における中新世火成作用とテクトニクス」ほか、多くの報告がある)。このときの火砕流によってできた凝灰岩は、奈良県や大阪府でも確認されており、すさまじい破局噴火であったことがわかる。那智の滝の背後をなす岩や熊野速玉大社の摂社神倉神社にあるゴトビキ岩など熊野で信仰の対象となっている岩石の多くは、このときの火山活動によって形成されたもので、熊野酸性火成岩類と呼ばれている。超巨大噴火によっ

て形成された鮮烈な風景が、熊野という聖地の背景をなしている。

出雲と熊野の謎めいた結びつきについては、かねてより多くの人によって指摘されている。イザナミは火の神カグツチを出産したことによって絶命し、その遺骸は、古事記によると、出雲国の比婆山に埋められたというが、日本書紀の一書には、「紀伊国の熊野の有馬村に葬りまつる」とあり、三重県熊野市の花窟神社にある巨岩の下にある「ほと穴」という窪みがイザナミの墓所と信じられている。スサノオ、オオナムチ(オオクニヌシ)も出雲と紀の国を行き来している。

ワノフスキーの議論をとおして私たちは、出雲と熊野を火山神話という共通の視点によって考えることが可能となった。出雲と熊野をむすぶ道は、火山とかかわっているのか。人類は存在せず、日本列島さえ未完成であった太古の火山活動が、日本神話の成立にかかわるということが本当にありうるのか。それは、『火山と太陽』を踏まえた今後のテーマである。