豊臣秀吉の系図学
近江、鉄、渡来人をめぐって
宝賀寿男+桃山堂 編著 2400円(税別)
秀吉は朝鮮半島から移住した渡来人の子孫なのか?なぜ、豊臣一族の先祖伝承には、鍛冶・製鉄が見え隠れするのか?謎の系図集と古代製鉄を手がかりに、天下人のルーツをさぐる野心作です。
( 立花隆「私の読書日記」(週刊文春2014年8月28日号)ほか、いくつかの新聞、雑誌で紹介されました)
国立国会図書館所蔵の『諸系譜』に「太閤母公系」と題された系図があります。豊臣秀吉の母方は代々の刀鍛冶で、その先祖は応神天皇のとき、朝鮮半島から日本列島に移住した「佐波多村主」という渡来人、そして、その一族は大和国から美濃国を経て、秀吉の祖父の世代に尾張国に移ったという内容です。
『諸系譜』には秀吉の父方系図もあり、近江の戦国大名である浅井氏と秀吉の先祖に血縁があること、浅井氏が古代の軍事氏族物部氏の末裔であることなどが記されています。いずれも興味深い内容ではありますが、これらの系図の背景について、これまで十分な検討がなされていませんでした。
本書では、「太閤母公系」を起点として、秀吉および一族にかかわる系図を見ていくことにします。一般にはあまり知られていない『諸系譜』『中興武家諸系図』『改選諸家系譜』などの系図集のほか、江戸時代に書かれた地誌や随筆、各地に残る伝承からも系譜的なデータを拾い集めてみます。真偽不詳の情報が多く、それぞれに矛盾する内容もあるのですが、今後の議論のたたき台という意味も込めて、毛色の変わった話もあえて掲載しています。
父方については、ほぼすべての系図が秀吉のルーツを近江国浅井郡(滋賀県長浜市内)に求めています。母方では、血縁者とされる加藤清正、青木秀以をふくめて、鍛冶や「鉄」にかかわる所伝が目に付きます。また、岐阜県大垣市赤坂町の周辺に、一族にまつわる所伝が集注しています。赤坂とは、古代から近現代まで稼働していた鉄鉱石の山であり、美濃の刀工集団の一大拠点でした。
全体を見通すキーワードとして、「近江」「鉄」「渡来人」という三つを掲げてみました。しかしこの三つは、本書が提示する結論でも答えでもありません。秀吉にかかわる種々の系図が私たちに示している「謎」であり、議論の出発点です。
著者の宝賀寿男は日本家系図学会、家系研究協議会の会長。もともとは大蔵省(現財務省)のキャリア官僚で、富山県副知事をつとめたこともあるという異色の歴史家です。
幕末生まれの鈴木真年という国学者がいて、その系譜研究について近年、再評価の機運が高まっています。そのきっかけを作ったのは宝賀氏で、著書の『古代氏族系譜集成』でした。母方の一族を渡来系の鍛冶とする「太閤母公系」も鈴木真年にかかわる史料のひとつです。